「伝統工芸を知ろう」の第一弾(?)として「伝統工芸品」「陶磁器」「漆器」を大きな視点でみていきました。
この記事では「東北・関東・中部」地域における「陶器」の特徴について書いています。
なお本記事を書くにあたり参考にしたのは、「経済産業省HP(日用品・伝統的工芸品)」「伝統工芸 青山スクエア」「わかりやすい、くわしい やきもの入門/仁木正格」です。
【東北・関東・中部編】各地域の陶器 特徴早見表
東北・関東・中部地方における伝統的工芸品は7品目で、特徴や主な製品、窯業がはじまった時期は以下のとおりです。
地域 | はじまり | 特徴 | 主な製品 | |
大堀相馬焼 | 福島県 | 1690年~ | 青ひび、走り駒の絵、二重焼 | 湯飲み、急須、徳利、ぐい飲み |
会津本郷焼 | 福島県 | 1647年~ | 伝統の鉄釉・飴柚・白釉、独自の禾目釉・瑠璃釉・白緑釉 | 皿、鉢、壺などの日常用器 |
益子焼 | 栃木県 | 1853年~ | 茶褐色、どっしりとした成型、白化粧に柿釉・青釉 | 土瓶、鉢、壺などの日常用器 |
笠間焼 | 茨城県 | 1772年~ | 伝統にこだわらない自由な気風 | 食器、花瓶、置き物 |
美濃焼 | 岐阜県 | 古墳時代~ | 黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部など | 茶器、花器、食器、置き物 |
常滑焼 | 愛知県 | 平安時代末期~ | 緑色の自然釉、藻掛け、赤褐色の焼き上がり | 茶器、花器、置き物、植木鉢、壺、かめ |
瀬戸焼 | 愛知県 | 平安時代~ | 赤津焼七釉、古瀬戸釉 | 茶器、花器、食器 |
中部地方は「やきもの」のはじまった土地といえ、東北・関東地方に広まったのは江戸時代となっています。
それぞれの地域で器の特徴やこれまでの経緯があり、一つ一つみていくと違いがわかって面白いですね。
もっと陶器を知ろう!
大堀相馬焼
大堀相馬焼とは
- 読み方:おおぼりそうまやき
- 地域:福島県双葉郡浪江町
- はじまり:1690年~
- 特徴:青ひび、走り駒、二重焼
- 主な製品:湯呑み、急須、徳利、ぐい飲み、灰皿
大堀相馬焼の特徴といえば「青ひびの入った器面」「走る駒の絵」「二重焼」の3つです。
二重焼の湯呑みは入れたお湯が冷めにくく、熱いお湯を入れても手で持つことができます。
1690年頃に陶土を発見して駒の絵を描いた日用雑器を焼いたのが始まりとされ、相馬藩が保護・育成したことから江戸時代末期には東北地方で一番の産地となりました。
青ひび焼が開発されたのは明治に入ってからで、駒の絵と組み合わされたのが今も続く人気商品です。
会津本郷焼
出典:会津本郷焼事業協同組合
会津本郷焼とは
- 読み方:あいづほんごうやき
- 地域:福島県大沼郡会津美里町
- はじまり:1647年~
- 特徴:伝統の鉄釉・飴柚・白釉、独自の禾目釉・瑠璃釉・白緑釉
- 主な製品:皿、鉢、壺などの日常用器
伝統の鉄釉・飴釉・白釉と、独自に改良した禾目釉(のぎめゆう)・瑠璃釉(るりゆう)・白緑釉を器体に掛けたのが会津本郷焼です。
大堀相馬焼が世間に知れ渡ったのは、1953年にベルギーのブリュッセル万国博覧会で出品された宗像窯(むなかたがま)の「にしん鉢」がグランプリを受賞したところから始まります。
「にしん鉢」は東北の保存食である「にしん漬け」専用の長方形の深鉢であるものの、「用の美」を体現した器として人気が出て、今でもなお焼き継がれているのです。
江戸初期である1647年、会津藩主・保科正之が瀬戸の陶工・水野源左衛門氏を招き、陶器を焼成してから本格的に始まりました。
会津藩が保護・育成したことで献上品として作られるようになり、その後に一般の人たち向けの器が製造されるようになったのです。
益子焼
益子焼とは
- 読み方:ましこやき
- 地域:栃木県芳賀郡益子町
- はじまり:1853年~
- 特徴:茶褐色、どっしりとした成型、白化粧に柿釉・青釉
- 主な製品:土瓶、鉢、壺などの日常用器
益子の土は粗くて薄づくりが難しく、鉄分が多いことから茶褐色に発色します。
そのため益子焼は全体が厚手でどっしりと形作られ、白化粧した上で柿釉や青釉を掛けて装飾する方法です。
また1924年に昭和の民藝運動で知られる濱田庄司が益子に定住し、地元の陶工の協力を得ながら数々のおおらかで生命感あふれる作品を生み出しました。
栃木県南東部の益子は粘土が採れる恵まれた自然環境で、笠間でやきものの修行をした大塚啓三郎氏がその粘土を発見したのをきっかけに窯を築いたのがはじまりです。
相馬で就業した経験のある田中長平氏の協力もあって軌道に乗り、黒羽藩が殖産事業として奨励され栄えていきました。
笠間焼
笠間焼とは
- 読み方:かさまやき
- 地域:茨城県笠間市
- はじまり:1772年~
- 特徴:伝統にこだわらない自由な気風
- 主な製品:食器、花瓶、置き物
戦前までの笠間焼は「藁灰釉・柿釉・飴釉・青釉の単色の流し掛け」、「二色・三色の重ね掛け」による貯蔵容器類が特徴です。
一方で戦後の笠間焼は新しく自由な気風に変わり、伝統スタイルにとらわれず多彩で個性的なやきものがあふれてきました。
1772年に笠間藩の箱田村で名主・久野半右衛門が、信楽の陶工・長右衛門の指導で窯を築いたことから始まります。
近くの丘陵地から陶土や薪がたくさん採れたこともあり、笠間藩は殖産政策として保護・育成した後、明治時代の水戸線開通で東日本一帯に出荷されました。
大正から昭和にかけて衰退しかけたところ、窯業指導所を設立して土や釉薬の改良をしたり、精度工場の設立をしたり、技術者を養成するシステムが作られたりして再興していきます。
さらに面白いのは陶芸団地や窯業団地を建設し、全国の陶芸家が集まる中で生まれた創意工夫を地域のものにしていったというところです。
美濃焼
出典:美濃焼くるくる
美濃焼とは
- 読み方:みのやき
- 地域:岐阜県多治見市、土岐市、瑞浪市など
- はじまり:古墳時代~
- 特徴:黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部など
- 主な製品:茶器、花器、食器、置き物
はじまりは古墳時代の「須恵器(すえき)」。
美濃焼が特に発展したのは桃山時代で、この時代からつくられたのは斬新な造形と豊かな色彩のやきものでした。
「油揚肌の黄瀬戸」「漆黒の瀬戸黒」「清楚な志野」「斬新な織部」といった新しいやきものが、茶の湯の流行りを背景に次々と生まれたのです。
黄瀬戸 | 薄づくりで油揚肌、菊・桜・あやめ・梅の文様、緑の胆礬(たんばん)や褐色の焦げがあるのが典型作 |
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瀬戸黒 | 鉄釉を掛けて1200度前後まで焼いて、窯から引き出し急冷させることによって漆黒にする |
志野 | 「もぐさ土」というやわらかい土に白い長石釉を掛けて焼くことで、釉肌に細かいひびと淡い火色があらわれたやきもの |
織部 | 鮮やかな緑色と鉄絵による斬新なデザインで、大胆な発想と変化に富んでいる |
美濃焼は伝統的な茶器を受け継ぎながらも、タイルとニューセラミックスは瀬戸焼と同じように生産量が多く、今の国内で生産される和洋食器の半分以上を占めるといわれています。
常滑焼
常滑焼とは
- 読み方:とこなめやき
- 地域:愛知県常滑市
- はじまり:平安時代末期~
- 特徴:緑色の自然釉、藻掛け、赤褐色の焼き上がり
- 主な製品:茶器、花器、置き物、植木鉢、壺、かめ
古常滑によく見られる「三筋壺(さんきんこ)」「三耳壺(さんじこ)」「大甕(おおみか)」は、器面を流れ落ちる緑色の自然釉が素朴さを感じさせます。
江戸後期から海藻を器に被せて焼くと火色が生じる「藻掛け」の技法が生まれたり、田土を使って鮮やかな赤褐色に焼き上げる「朱泥焼(しゅでいやき)」が開発されたりとしました。
朱泥急須で知られる常滑焼は古い歴史を持ち、知多半島一帯で採れる良質な陶土を利用して、平安時代末期から大型の甕(かめ)や壺が生産されて日本各地に運ばれていったのです。
瀬戸焼
瀬戸焼とは
- 読み方:せとやき
- 地域:愛知県瀬戸市
- はじまり:平安時代~
- 特徴:赤津焼七釉、古瀬戸釉
- 主な製品:茶器、花器、食器
西日本ではやきものを「からつもの」というのに対し、東日本では「せともの」といわれることから、瀬戸焼が古くから使われてきたのがわかります。
室町後期にお茶の風習が広がるにつれて和茶器が焼かれるようになり、鉄釉を発展させた光沢のある古瀬戸釉が生まれ、「瀬戸天目(せとてんもく)」「水指」「肩衝(かたつき)茶入」がつくられました。
また瀬戸ほど多種多様なやきものが焼かれている窯場はなく、伝統的な釉技のほかにも自由な食器類が作られるに加えて、半導体や自動車などに使われるファインセラミックスの分野へも進出しています。
おわりに
「いつ始まったのか」「どのようにして栄えたのか」「特徴はなんのか」。
同じ「陶器」といえど開始時期や特徴が違うのはもちろんのこと、発展のためのシステムや新たな事業への展開など様々です。
「この器がいいな!」といった直観を大切にするとともに、歴史や特徴などの知識も入れながら楽しんでいきたいですね。
次は窯里に行くぞー!オー!(ひとりで)