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【四国・九州編】もっと日本の陶器を知ろう!唐津焼や薩摩焼、壺屋焼など

全国の陶器シリーズの最後として、「四国・九州」地方でつくられている陶器の特徴をお伝えします。

 

ほとんどが16~17世紀から焼かれはじめていて、荒々しいものもあれば優美なものもあります。

 

やきものに興味がある方、これから四国・九州地方に行かれる方は、簡単に歴史や場所などもまとめていますのでぜひご覧ください。

 

なお本記事を書くにあたり参考にしたのは、「経済産業省HP(日用品・伝統的工芸品)」「伝統工芸 青山スクエア」「わかりやすい、くわしい やきもの入門/仁木正格」です。

 

【四国・九州】各地域の陶器 特徴早見表

各地域における陶器の大まかな特徴は以下のとおりです。

 

地域 はじまり 特徴 主な製品
大谷焼 徳島県 1718年~ 「寝轆轤(ねろくろ)」とよばれる大甕づくり 酒器、かめ、鉢
小石原焼 福岡県 1669年~ 飛び鉋(かんな)、刷毛目(はけめ)などの独特な技法 甕(かめ)、壺、置物、食器
上野焼 福岡県 1602年~ 緑青釉、紫蘇手(しそで)、上野三彩 茶器、酒器、花器、食器、香器、装飾品
唐津焼 佐賀県 16世紀頃~ ざんくりとした渋い土味と素朴な鉄絵、多彩な釉技 茶器、花器、徳利
小代焼 熊本県 1632年~ 粗めの土、藁白釉打ち掛け流し 茶器、花器、食器、装飾品
天草陶磁器 熊本県 1765年~ 釉薬の二重掛け技法 茶器、花器、食器、装飾品
薩摩焼 鹿児島県 1598年~ 白もん、黒もん 食器、茶器、花器、酒器、装飾品
壺屋焼 沖縄県 16世紀末~17世紀 鉄分の多い陶土、無釉・低温焼締 酒器(カラカラ)、抱瓶(ダチビン)、獅子(シーサー)、壺

 

小代焼や壺屋焼の荒焼のように素朴なやきものもあれば、形や肌ざわりに優美さを感じる薩摩焼、多彩な技法を使う唐津焼など様々な特徴があります。

 

それでは各陶器の特徴をもっと詳しくみていきましょう。

もっと陶器を知ろう

大谷焼

大谷焼とは

  • 読み方:おおたにやき
  • 地域:徳島県鳴門市
  • はじまり:1718年~
  • 特徴:「寝轆轤(ねろくろ)」とよばれる大甕づくり
  • 主な製品:酒器、かめ、鉢

 

大谷焼は昔から大甕の産地として知られていて、「寝轆轤(ろくろ)」という2人がかりによる巨大な甕づくりが特に有名です。

 

巨大甕を焼く登り窯の大きさは日本一と評される一方で、酒器は精巧なろくろ技術によって薄手でありながらも丈夫だといわれています。

 

はじまりは1781年に徳島藩が豊後の陶工・文右衛門氏を保護し磁器窯を開かせますが、材料がないことで経営が悪化し廃業してしまいました。

 

その後に藍商人である賀屋文五郎氏が信楽の陶工を連れてきて、弟の納田平次兵衛に陶器甕の製法を指導してもらったことで陶器づくりがスタートしたのです。

 

阿波特産の藍を入れる甕として大きな水甕が焼かれるようになったのですが、明治時代以降に化学染料の利用や生活様式の変化で藍染の需要が減ったことで甕づくりは衰退していきました。

小石原焼


出典:秀山窯

小石原焼とは

  • 読み方:こいしわらやき
  • 地域:福岡県朝倉郡東峰村小石原
  • はじまり:1669年~
  • 特徴:飛び鉋(かんな)、刷毛目(はけめ)などの独特な技法
  • 主な製品:かめ、壺、置物、食器

 

「飛び鉋」「刷毛目」「化粧掛け」「櫛描き」「打ち掛け」「流し掛け」などの独特な技法が小石原焼の特徴です。

 

1669年に高取焼初代八蔵氏の孫・八之丞氏が中野皿山に開窯し、初めは擂鉢(すりばち)や徳利などの雑器がつくられました。

 

江戸中期以降は黄土色のなまこ釉や筒描きの製品もつくられ、昭和初期には浜田庄司が訪れて「用の美」をたたえたことで世に広まるのです。

 

小石原焼の窯里は修験道で知られる霊山・英彦山の西に位置して、山向こうには大分県の小野田焼の窯里があります。

 

上野焼


出典:福岡県商工部観光局観光政策課

上野焼とは

  • 読み方:あがのやき
  • 地域:福岡県田川郡福智町
  • はじまり:1602年~
  • 特徴:緑青釉、上野三彩、紫蘇手(しそで)
  • 主な製品:茶器、酒器、花器、食器、香器、装飾品

 

上野焼の特徴は洗練された美しい陶技で、緑青釉を掛けたもの、黒釉の上に筒描きで文様をかいた上野三彩、そして独特な縮緬(ちりめん)じわのでる紫蘇手が代表的です。

 

豊前小倉藩主・細川忠興氏が唐津の渡来陶工・尊楷(そんかい)氏を招いて開窯し、唐津風の茶陶や日用品を御用品として焼きました。

 

明治維新で廃絶してしまったものの、1902年に熊谷九八郎市によって再興され熊谷本窯として今もなお続いています。

 

北九州国定公園の福知山山麓に窯里があり、400年の伝統を守って洗練された茶陶から日用品の食器までを製作しています。

 

唐津焼


出典:唐津観光協会

唐津焼とは

  • 読み方:からつやき
  • 地域:佐賀県唐津市
  • はじまり:16世紀頃~
  • 特徴:ざんくりとした渋い土味と素朴な鉄絵、多彩な釉技
  • 主な製品:茶器、花器、徳利

 

茶の湯の世界では「一楽二萩三唐津」といわれ、ざんぐりとした渋い土味と素朴な鉄絵、藁灰釉と黒飴釉の掛け合いなど自然のままの美しさが親しまれています。

 

また唐津焼の成形には「蹴轆轤(けろくろ)」と「叩きづくり」という独特の手法がとられ、「絵唐津」「三島唐津」「朝鮮唐津」「掘唐津」「斑唐津」「瀬戸唐津」など多彩な釉技でやきものがつくられているのです。

 

九州各地の窯場は文禄・慶長の役(1592~93・97~98年)以降にはじまっていますが、唐津焼はそれよりも古くから焼かれているとされています。

 

東日本の「せともの」に対し「からつもの」と呼ばれるほどに西日本では流布され、江戸時代初期に有田焼の影響で苦境に立たされるものの、御用品と庶民的な窯とに分かれて焼き続けられました。

 

小代焼


出典:中平窯

小代焼とは

  • 読み方:しょうだいやき
  • 地域:熊本県荒尾市、南関町など
  • はじまり:1632年~
  • 特徴:粗めの土、藁白釉打ち掛け流し
  • 主な製品:茶器、花器、食器、装飾品

 

「自由奔放な流し掛け」が小代焼の魅力であり、粗めの土に鉄釉を掛けた上に藁灰釉(わらばいゆう)や笹灰釉を柄杓(ひしゃく)に入れて打ち掛けるものです。

 

1632年に豊前から移ってきた上野焼の陶工が小岱(しょうたい)山麓に窯場をかまえ、御用窯としての茶陶や日用雑器を焼きはじめました。

 

今でも小岱山の麓や荒尾市を中心に、たけみや窯やしろ平窯、中平窯、末安窯など12軒の窯元が活動しています。

天草陶磁器


出典:天草陶楽案

天草陶磁器とは

  • 読み方:あまくさとうじき
  • 地域:熊本県本渡市、上天草市など
  • はじまり:1765年~
  • 特徴:釉薬の二重掛け技法
  • 主な製品:茶器、花器、食器、装飾品

 

天草陶磁器はなまこ釉や黒釉などを使った釉薬の二重掛けの技法により、個性的な陶器が多く作られています。

 

磁器は1676年にはじまっていますが、陶器は100年ほど遅れた1765年に天草郡本土村水の平(今の本渡市)で日用品が焼かれはじめるのです。

薩摩焼

薩摩焼とは

  • 読み方:さつまやき
  • 地域:鹿児島県鹿児島市、始良市、日置市
  • はじまり:1598年~
  • 特徴:白もん、黒もん
  • 主な製品:食器、茶器、花器、酒器、装飾品

 

薩摩焼には白土で端正に形作られた「白もん(白薩摩)」と、鉄分の多い土を使った「黒もん(黒薩摩)」の2つがあります。

 

白もん(白薩摩) 白土で端正に形作られたものに透明釉をかけ、表面の細かいひびが特徴の一つ。象牙色の器肌に赤、黄、緑、紫、金などで華やかな絵付けが主体。
黒もん(黒薩摩) 鉄分の多い土を使ったものに黒釉や褐釉、蕎麦釉などを掛けた素朴な陶器。茶湯から日用品まで幅広くつくられる。

 

文禄・慶長の役(1592~93・97~98年)で朝鮮出兵した薩摩藩主・島津義弘が陶工を80人ほど連れてきて、鹿児島の串木野島平、市来神之川、鹿児島前之浜で窯を開いたのがはじまりとされています。

 

窯里は「白もんの苗代川系」「黒もんの竪野系」「多彩な釉技の龍門司系」の3つにわかれ、それぞれで異なる特徴のやきものを作っているので面白いですよね。

 

壺屋焼

壺屋焼とは

  • 読み方:つぼややき
  • 地域:沖縄県那覇市壺屋、中頭郡読谷村
  • はじまり:16世紀末~17世紀
  • 特徴:鉄分の多い陶土、無釉・低温焼締
  • 主な製品:酒器(カラカラ)、抱瓶(ダチビン)、獅子(シーサー)、壺

 

沖縄ではやきもののことをを「ヤチムン」と呼んでいて、「荒焼(あらやき)」と「上焼(じょうやき)」の2種類があります。

 

荒焼 16世紀末から17世紀にかけてはじまったとされる無釉焼
上焼 17世紀前半に薩摩の朝鮮人陶工から指導を受けて完成した施釉焼

 

「荒焼」は鉄分の多い陶土で形作り、釉薬を掛けずに低温でじっくり焼き上げた赤褐色のやきもので、その素朴さが見どころの一つです。

 

対する「上焼」は素焼きをせずに釉薬を掛けて焼いたもので、滑らかな肌ざわりと数多くの技法が駆使された変化に富んでいます。

独特な形の抱瓶やカラカラ、碗、按瓶(水注)、渡名喜瓶(泡盛入れ)など南国らしいやきものです。

 

1924年に浜田庄司氏が訪れるようになり、1939年に柳宗悦氏が民藝陶器として中央に紹介したことで広まっていきます。

おわりに

唐津焼や壺屋焼の窯里には旅行で行ったことがあるのですが、その時はまだやきものに興味なくただ「こんなものもあるんだ」程度でしか思っていませんでした。

しかし今になって特徴や歴史などの知識を得て、目で見て手で触るようになると実際に作られている現場に行ってみたくなりますよね。

 

全国の陶器シリーズは終わりとなりますので、次は「全国の磁器」と「窯里旅物語」を綴っていくぞ!

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HEYPON
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【自己紹介】青森生まれ/実家は養豚場/5人兄弟4番目/自然好き/日本好き 【経歴】高校まで青森▶大学で関東進出(埼玉)▶大阪の会計事務所に就職▶5年半働いて退職▶日本を回る▶次は海外だ! 【意気込み】「旅をしながら生きていきたい」そんな夢を抱きながら日々を生きていきます。