「日本唯一の宗教都市」として知られる天理市。
どんな街なのかと気になって、初の折りたたみ自転車で電車に乗り、想像以上に疲れて帰ってきました。
今回の旅
それでは「宗教都市 天理」の旅についてお伝えします。
Contents
天理とは
(これがいわゆる天理ラーメン)
天理市は奈良県の北部に位置し、春日断層崖が延びて西側の奈良盆地と東側の谷戸高原を区切っています。
春日断層崖を境に環境は大きく異なり、両地域の住む人々の気質にも影響を与え、「人国記」には奈良盆地の人を「人の気名利を好むものおほし」、大和高原の人を「隠る気あり」として、気質の違いを述べています。
概要
人口:65,574人
面積:86.42㎢
歴史
古代
旧石器時代の遺跡はまだ見つかっていませんが、大和高原の福住町では約1万年前の早期の遺跡が何ヶ所か見つかっています。
弥生時代の遺跡もいくつか発見され、平等坊・岩室遺跡などで集落の周りには何条もの濠が巡っていることから(環濠集落)、国内最大級の規模をもつ唐古・鍵遺跡(田原本町)を中心に盆地内のネットワークが築かれてと考えられます。
日本最古の道といわれる「山の辺の道」は南北に延び、「北ルート」に進むと入る櫟本には人の天皇に9人の后妃を出したとされる豪族「ワニ(和爾・和珥)」氏が居住していました。
中世~近世
貴族や社寺による荘園の開発が盛んになる中、大和でも東大寺や興福寺など南都寺院の勢力が伸びてきます。
市内でも石上神宮・大和神社・興福寺・東大寺や皇室・豪族などの支配が広がりましたが、南北朝移行になると武士が台頭し、市域では十市氏、豊田氏、福住氏、山田氏、苣原氏、仁興氏、藤井氏などがいました。
戦国時代が終わり江戸時代がきても、大和は所領が複雑で天領、大名領、社寺の朱印地などが入り乱れ、明治時代まで一つにまとまらず、市内でも一村が二分されて領主が異なる「入組地」が存在しました。
市内で中心として栄えた集落は、桜井と奈良を結ぶ上街道沿いの櫟本村と丹波市(たんばいち)村、柳本村の三村が挙げられています。
明治時代以降
明治維新を迎えると廃藩置県により、それまでの所領は廃止されて「柳生県」「柳本県」「柴村県」「津県」にまとめられた後に奈良県が再設置されます。
また明治初期の廃仏毀釈により、「大和の日光」といわれた内山永久寺をはじめとして、市内の多くの寺院が廃寺となり、多くの貴重な文化財が散逸してしまいました。
明治21年の「町村制」により7村が誕生し、その後あらたに「山辺村、櫟本村、柳本村の3村が町制を敷いてから、昭和29年に6日町村が合併して「天理市」になります。
「天理市」は天保9年に三島町で始まった天理教に由来していて、参拝者の増加にともない市街地も拡大していきました。
産業構造
企業数:1,832社
従事者数:22,190人
売上高:212,536百万円
- 医療、福祉-医療業(44,930百万円)
- 製造業-生産用機械器具製造業(15,858百万円)
- 建設業-総合工事業(14,382百万円)
付加価値額:67,846百万円
- 医療、福祉-医療業(18,793百万円)
- 教育、学習支援業-学校教育(5,259百万円)
- 医療、福祉-社会保険・社会福祉・介護事業(3,803百万円)
天理の魅力
(天理駅付近)
日本最古の道 山の辺の道
天理駅からすぐ近くにある「天理駅前広場内インフォ&ラウンジコフン」にて観光ガイドをもらい、まず最初に見えた「山の辺の道」。
観光案内をしてくれたお姉さんも、「天理の観光名所なら、まず石上神宮と山の辺の道です」と話されました。
「なにが最古の道」かもわからず、気になったのでマイ自転車で向かいました。
山の辺の道とは
三輪から奈良へと通じる古道で、大和平野には南北に走る上・中・下ッ道があり、それぞれ7世紀の初めに造られました。
「日本書紀」に書かれていて、歴史に登場する道路のうちで最古の道と呼ばれ、現在でもその道をはっきりと跡づけることはできません
山の辺の道沿いには陵墓や古墳、遺跡、古い社寺が多くあり、「記紀・万葉集」ゆかりの地名や伝説も残っています。
私は石上神宮から南下し、長柄駅までの道のりで力尽きました。
石上神宮(いそのかみじんぐう)
歴代の天皇の崇敬が厚く、神庫には多くの武器が収められ、武器についての伝承が多い神社です。
祭神は布都御霊大神(ふつのみたまのおおかみ)といわれる神剣で、奈良以前から神宮の号を使ったのは伊勢神宮とここだけです。
鳥が多いです。
内山永久寺跡
永久2年(1114年)に鳥羽天皇の勅願により創建されたが神仏分離で廃寺となり、かつて盛況した面影もなく残るのは池だけ。
昔の寺の絵を見ると、なんとも言えない気持ちになります。
夜都伎神社(やとぎじんじゃ)
春日大社の4神を祀り、拝殿の屋根は珍しい萱葺(かやぶき)です。
これくらい、こぢんまりしてるのも良い。
坂が上がったり下がったりできつく自然にあふれ、道も分かりづらいので、目当ての場所を見つけると嬉しいです。
天理市で感じたこと
宗教都市 天理
「日本唯一の宗教都市」といわれるだけあって、市内には天理教の建物がたくさんありました。
天理教とは
- 教祖:中山みき
- 時代:江戸時代末期(1838年)
- 教え:すべての人々が、人間創造の目的である「陽気ぐらし」にふさわしい生き方をする
本殿だけでなく病院や学校までもが、想像以上に荘厳な作りをしていて驚きました。
天理教本殿
誰でも本殿には入ることができるので中に進むと、とても大きくて静かな空間でした。
特に拝観料もなく自由に歩き回れ、なんだか受容力のある建物だと感じました。
天理よろづ相談所病院(憩いの家)
医療業の割合が大きいのも、この大きな病院を見ると頷けます。
天理大学
天理教の学校は、幼稚園から大学まであります。
「おやさとやかた」という構想があり、「ぢば」を中心に東西南北の八町(約872メートル)四方の線上に68棟を建て巡らす計画で建設が進めら、現在26棟が竣工しました。
今でも十分大きな建物が沢山あり驚きましたが、まだ構想の半分だと知ると完成したときはどんな景色なのだろうと思いました。
私が生きているうちに完成したのであれば、もう一度見に行きたいと思いました。
びっくり!焼き
大判焼きによく似たお菓子を売っている店を発見。
100円だったので買おうと思い、お金を渡すついでに「大判焼きと何が違うんですか」と聞いたら、「同じだよ」と答えられました。
でも名前は「びっく里焼き」。商標登録もされてました。びっくり。
さいごに
「日本唯一の宗教都市」といわれる通りの雰囲気を持っていながら、少し歩くと古き良き時代のロマンを感じることもできます。
私がもっと日本史に詳しかったら、山の辺の道も「きつさ」よりも「楽しさ」が勝っていたのではと思うと悔しくてなりません。
「次くるときはもっと歴史を勉強しよう」といつものように思った、天理の旅でした。