ひょんなことから、鳥取県八頭町に2週間ほど滞在することとなりました。
かくいう私は、鳥取県の訪問経験は「鳥取砂丘」と「大山」だけという「鳥取初心者」なので、ディープな感じが漂う八頭町が楽しみでたまらないです。
今回の旅
ということで、鳥取県八頭町での旅についてお伝えします。
八頭町とは?
(八頭町HPより)
「鳥取県東南部に位置する郡家町、船岡町及び八東町の3町は、八東川流域として一体的な地域を形成し、歴史的・文化的にも深いつながりがあります。
急速な少子・高齢化の進行や、国際化の進展など社会情勢が大きく変化する中、地方自治体の果たすべき役割は多様化、複雑化してきました。
このような状況の中、地方分権を推進し、行・財政運営の見直しや、きめ細かい行政サービスを提供するため、平成17年3月31日に八頭町が誕生しました。」
人口・面積(2018年12月時点)
- 人口:17,233人(6,138世帯)
- 面積:206.71㎢
- 人口密度:78人/㎢
歴史
先史~古代
八頭町は「福本古墳群」「久能寺古墳群」「山路古墳群」「大坪古墳群」「郡家古墳群」など数多くの古墳が点在していることから、古くから生活に適していた土地柄で支配階級が存在していたと考えられています。
白鳳時代から奈良時代には大型寺院が建立され、土師百井廃寺跡では法起寺式の大伽藍跡が発見され、国指定史跡に指定されています。鳥取県内でも比較的早くから仏教文化が伝えられには「新興寺和銅(709)」「清徳寺」「青龍寺(710)」などが次々と開山し、特に新興寺は因幡国衙の役人や後醍醐天皇の祈願所として寺運が隆盛し数多くの支院、末寺を擁する大寺院となりました。
中世
中世には小松氏や因幡毛利氏などの国人領主が割拠しますが戦国時代に入ると山名氏、尼子氏、毛利氏などの影響を大きく受け絶えず領主が代わる状況が続きました。
近世~現代
江戸時代に入ると池田光政の家老丹羽兵部が配され船岡丸山城を居城とし、慶長20年(1615)に一国一城令が発令されると、船岡丸山城は廃城となり麓に陣屋を設けています。寛永9年(1632)に池田光仲が鳥取藩主になると家老職であった乾氏が3千5百石でこの地に配されました。乾氏は宇多源氏、佐々木経方の6男である行範の後裔を自称する名族で戦国時代に入ると織田信長の重臣である池田恒興に仕え、武功を重ね家老にまで上り詰めました。鳥取藩でも家老を歴任し3千5百石(後に5千石)が与えられ、鳥取藩から半独立した権限を持ち自らの手での政治が認められました。船岡には陣屋を設け事実上の城下町や領内の整備や西来寺(現在は廃寺となり歴代乾氏の墓碑が残されています。)を菩提寺とするなど明治維新まで15代にわたり支配します。
産業構造
売上高(総額:18,803百万円)
- 建設業-総合工事業:5,932百万円
- 卸売業、小売業-飲食料品小売業:2,032百万円
- 医療、福祉-医療業:1,234百万円
- 医療、福祉-社会保険・社会福祉・介護事業:647百万円
- 農業、林業-農業:578百万円
付加価値額(総額:6,212百万円)
- 建設業-総合工事業:1,501百万円
- 医療、福祉-医療:632百万円
- 卸売業、小売業-飲食料品小売業::572百万円
- 農業、林業-農業:237百万円
- 製造業-機械工業:236百万円
八頭町の魅力とは?
食の魅力
特産品には、エリンギィ佃煮、健康はとむぎ商品、ホンモロコ、ヤマメ、因久山焼、花御所柿、喜和伊焼、原木しいたけ、広留野大根、西条柿、竹炭製品、薬師みそ、白ねぎ酢・白ねぎぽん酢、あんぽ柿、扇山窯など沢山あります。
中でも滞在期間で見つけた私のおすすめをお伝えします!
干し柿
おすそわけで渡されたタッパーを返しにいくと、更におすそ分けをもらうことになりました。