土佐の国…
そう、高知県といえば何を思い浮かべるでしょうか?
カツオ?それとも坂本龍馬?
たくさん思い浮かぶでしょうが、今回は「土佐打刃物」「土佐和紙」についてご紹介させて頂きます。
使い手に合わせて形を変える「土佐打刃物」
料理人や農家でなければ、刃物にこだわることも少ないでしょう。
経済産業省が指定する「伝統工芸品」の刃物産地は、日本国内で7つあります。
日本国内の刃物産地
大阪府堺市、兵庫県三木市、福井県越前市、長野県信濃町、新潟県長岡市、新潟県三条市、高知県香美市
…ということで、いってきました「高知県香美市」!
ついでに高知県四万十町の鍛冶屋さんにも足を運びました。
高知県香美市を中心に作られる「土佐打刃物」の特徴は、なんといっても「自由鍛造」。
「自由鍛造」とは昔から土佐打刃物に伝わる技法で、金型などを使わずに手作業で一本一本造っていく鍛造法。
大量生産はできないものの、自由度が高いことから注文に合わせてどのようなものでも造ることができます。
つまるところ、業務内容や身体的特徴など使い手に合わせて、唯一無二の刃物を作り出せるということです。
私は「個性」とか「多様性」といったことが好きなので、なんだかとっても気に入ってしまいました。
土佐刃物を知るために、訪れたところは二つ。
土佐打刃物 黒鳥
一つは、四万十町にある「土佐打刃物 黒鳥鍛造工場」さんです。
案内をしてくれた現代表の方は「若くて気さくな方」で、丁寧な説明から気遣いと職人の誇り、そして「土佐刃物を色んな人に知ってほしい」という気持ちを感じました。
また案内中に猟師や山師のお客様が来られて、何やら刃物のメンテナンスをしてほしいとのこと。
話を聴くと現当主は「どんな使い方をしてるか」「使い心地はどうか」など、コミュニケーションを通して状況や特性を把握し、より相手にあった刃物を作る。
量産型の刃物にはない良さで使い手も自分に合ったその道具を大切にし、中には何代か前の代表が叩いた刃物を持つ人もいるそうです。
ふと現代表は「自分たちは道具ではなく、形見をつくっているんだ」ということを口にしました。
たしかに良いものを作って大切に使っていれば、親から子へ、また親から子へと後世に受け継がれていくでしょう。
だとしたらメンテナンスで経済が回りながらも使う資源は少なく、物を大切にすることで人間性が育まれるような社会だなと思いました。
土佐打刃物流通センター
もう一つは、「土佐打刃物流通センター」さんです。
お店に入ると色んな種類の刃物がズラッと並んでいて、さすが土佐打刃物鍛冶屋の里である香美市にある問屋だと驚きました。
店員さんに土佐刃物を知りたくてきたと伝えると、突然の訪問にも関わらず快く案内してくれました。
まず案内されたのが2階で、階段をあがると1階以上に色んな種類の刃物が並んでいます。
自由鍛造の土佐打刃物だからこそ一つ一つに用途を持ち、牛の爪を切る用の刃物があるといわれたのには感動しました。
また一通り刃物の説明をしていただくと、体系的に書かれている本を非売品であるにも関わらず譲ってくださりました。
譲り受けた「鉄と火と技と土佐打刃物のいま」は、このような一文から始まります。
「高知平野の東、土佐山田の町を少し外れて、田の中の道を歩いていると、どこからか、ガシャンガシャンガシャン、トントントントンと、ものをたたいているような音が聞こえてきます。」
目をつむると情景が浮かんでくるようで、次に香美市へ行くときは散策をしたいなと。
土佐和紙
わたしたちが普段使っている紙は洋紙で、和紙を手にとる機会というのは少ないのではないでしょうか。
昔に比べて工房も減少してしまってはいるのですが、今でもなお伝統を受け継ぎながら新たな挑戦をしている人もいます。
世界から注目される土佐和紙
高知県の「土佐和紙」は、福井県の「越前和紙」と岐阜県の「美濃和紙」に並び三大和紙と呼ばれています。
耐水性と保湿性を兼ね備えた0.03~0.05mmの世界一薄い「土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)」、千年長持ちする紙と称される「土佐清帳紙」。
世界が認めるほどのクオリティに富む土佐和紙は、かの有名な時計ブランド「シチズン」の文字盤にも採用されているのです。
遡れば土佐和紙の歴史は、平安時代から始まっているとされています。
927年(平安) | 国の決まり事を決めた「延喜式」に紙を貢納する主要産国に、土佐をはじめ全国42ヶ所が記される |
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930年(平安) | 「土佐日記」で有名な紀貫之が土佐の国司として入国し、紙作りを強く勧めた |
1591年(安土・桃山) | 土佐の安芸三郎左衛門家友と養甫尼は、伊予の人新之丞から製紙を学び、土佐七色紙を創製する |
1601年(安土・桃山) | 山内一豊、土佐七色紙を幕府に献上し、土佐の御用紙制度がはじまる |
1826年(江戸) | 伊野村(現いの町)で、手漉き和紙に貢献した吉井源太が生まれる |
1976年(昭和) | 土佐和紙が国の伝統工芸品に指定される |
(いの町紙の博物館 パンフレットより 一部抜粋)
なぜ土佐和紙が発展したかというと、「良質な石灰や原料が豊かだった」「紙を作るのに必要な清らかな水があった」からです。
土佐和紙の特徴は「種類の豊富さ」と「品質の良さ」であり、昔から変わらないばかりか今では海外アーティストにも注目をされています。
伝統と流行が交差する最近の土佐和紙
日本の文化や生活を支えてきた土佐和紙は、時代の移り変わりとともに在り方を変えています。
事業所数の推移をみると1900年には全国で約6万8000戸あった工房が、今ではわずか200戸しかありません。
工房数減少の背景には、後継者問題や手漉き和紙の使い道がなくなってきたことがあります。
昔ながらの手漉き和紙は工房の数や生産量が減ってきている一方で、質の高い素材感や受け継がれる技術に惹かれて土佐和紙の世界に入り込む人もいます。
高知県が発行している文化広報誌「とさぶし」でも、土佐和紙に魅せられた人たちのエピソードが取り上げられているので、ご興味あればご覧ください。
また素材の良さを活かして、伝票や原稿用紙など身近なものに土佐和紙を使おうという動きが出てきています。
手に持ったときに感じる和紙の温かさが、きっと忙しい日々を柔らかくしてくれることでしょう。
おわりに
「故きを温ねて新しきを知る」
この言葉の如く「土佐打刃物」や「土佐和紙」といった「日本の伝統」から、新たな発見や発想が生まれることもありそうです(大小問わず)。
昔からあるものというのは知恵の結晶であり、この伝統がなくならず今もあることを感謝をせずにはいられません。
もちろん日本だけのことではないので、自国の伝統的なことを知りながら他国とも共有しあいたいと思います。