「南の島のつぎは、北の大地だ!」
それくらいのノリで、北海道富良野市の農作業ヘルパーとして働くことにしました。
札幌や小樽、函館、旭川に行ったことはあるものの、あまり産業や歴史という視点で見ていませんでした。
今回の旅ではそんな視点も交えながら、懸命に玉ねぎと向き合った話というです。
玉ねぎ農家の仕事とは?
収穫までの流れ
「玉ねぎ農家って何してるの?」
素朴な疑問が浮かぶ人もいるでしょうし、私も行く前まではそうでした。
簡単に玉ねぎ農家さんの一年をご紹介します。
玉ねぎ農家さんの一年
- 1月:ビニールハウス作り
- 2~3月:種まき、苗育成
- 4~5月:畑で苗植え、水まき
- 7月頃:根切り
- 8~10月:収穫、選果
- 11月頃:ハウスを片付ける
上記のこと以外にも土壌づくりのために収穫が終わった畑をトラクターで耕したり、時期をみて水や肥料を入れたりしているのです。
あらためて農家さんは物事を長期的に考えていて、「今の収穫」を見ながら「来年の収穫」のための行動もしている。
自然を相手にするというのは、色んな規模が違うのだなと感じました。
さらに詳しく玉ねぎ農家さんの仕事を知りたい人はこちらから
「「JAきたみらい」さんのホームページ」
玉ねぎ農家の生計を左右するもの
玉ねぎ農家での一年における成果は、「コンテナが何基あるのか」で表されます。
初めて働いたときに「玉ねぎは何個くらい収穫されるんですか」と聞いたら、「(玉ねぎを)数えるのは何基だよ」と教えてもらったのが懐かしいです(規模でか)。
玉ねぎをたくさんのコンテナに詰められれば「今年もよかった!」といえ、何が収穫量に左右されるのかというと主に2つあります。
玉ねぎ農家の成果を左右する要素
- 玉ねぎの大きさ
- 不良品率
小さいと収穫に手間がかかる上にコンテナも中々いっぱいにならず、不良品が多いほど損失は大きいです。
2つの要素に影響を与えるのは土で、「もともと持つ力」と「かけた手間」によって良し悪しが決まるといえます。
お手伝いしたこと
私が何をお手伝いしてきたかというと、「オニオンピッカーで収穫した玉ねぎをならす」ことです。
8~10月は玉ねぎ農家にとって1年の総決算といえ、「いくら儲けたか」がわかる収穫の時期です。
収穫では玉ねぎを収穫できる形に整えて、いよいよ登場するのが「オニオンピッカー」。
「この規模だから手作業はないだろう」とは思っていたのですが、想像以上に大きくて心の中で腰を抜かしました。
オニオンピッカーが横を通り過ぎる度に、ちょっと怖かったです。
ちなみにどれくらいの早さで収穫できるかというと、コンテナ一基が3~5分で集まっちゃいます。
コンテナ一基に玉ねぎ6000個くらいです。
やはり広大な土地で機械を使ってする農業は「生産性」が高く、「アメリカやオーストラリアになったらどうなるの」と思います。
オニオンピッカーで収穫するとコンテナの玉ねぎは山になっていて、私はその山を平らにしてテントをかけていました。
おそらく1日70基で15日くらいしたので・・・総数1000基位!
・・・すごいなあ。
大切なのは自然を受け入れること
お世話になった1ヶ月間の中で、親方によく言われていた言葉があります。
それは、
「北海道の自然は厳しい。勝てないから、受け入れることが大切。」
ということです。
実際に何年か前の収穫では天候に恵まれず、半数以上の玉ねぎが売れなくなったそうでした。
また富良野でブドウ農家を始めた人の中にも、北海道の冬がどれほど厳しいかを想定できず失敗したという話もありました。
しかし他にも、このような言葉をかけられました。
「できることは五感で感じ取り、考え、どう対策をしていくか。」
働く中で農家さんたちの温かさや器の大きさ、鋭さを感じ、何によって形作られているのだろうという疑問がありました。
この2つの言葉が、答えなのかと考えています。
「受け入れた上で、考えて対策をとる」のは当たり前のことではあるものの、あらためて一つ一つのプロセスを着実にしていきたいと思いますね。
おわりに
今回働いたことで玉ねぎはもちろんのこと、北海道での大規模な農業や農家をとりまく状況を知ることができました。
日本にとって北海道はたくさんの食べ物を生産することから、国にとっても重要な場所です。
それらを支えているのは厳しい自然と共生してきた農家さんたちであることを、しっかりと覚えておかなければならないと思いました。